食事の変化によって「f」「v」の発音が生まれた、研究
2019.03.20
「f」や「v」の発音は、食事の変化によって生まれたのかもしれないとする研究成果を、スイス、チューリヒ大学の言語学者のチームが3月15日付け学術誌「サイエンス」に発表した。
生体力学と言語学的証拠にもとづいた今回の研究によると、農耕の開始にともなって柔らかい食物を食べることが増えた結果、人類の歯のかみ合わせが変化し、「f」と「v」の音を発音しやすくなったというのだ。「私たちの研究をきっかけに、言語の特徴の一部が生物学と文化の間にあるものとして研究されるようになってほしい」と、論文の筆頭著者のダミアン・ブラーシ氏は語る。
この仮説が裏付けられれば、文化の変化に起因する生物学的変化が、言語の変化をもたらしたことを示す、初めての例となる。
ブラーシ氏らは、歯のかみ合わせの変化が必ずしも言語の変化をもたらすわけではなく、また、ほかの原因による言語の変化を否定しているわけでもないと強調する。彼らはただ、かみ合わせが変わったことで、「f」や「v」の音が出現する可能性が高くなったと言っているだけだ。歯の専門家など、ほかの分野の科学者の一部は、彼らの仮説に理解を示している。
「かみ合わせは進化に深く根差した特徴で、種が共有するひとつのパターンです。ヒトやヒト族だけでなく、大型類人猿でも同様です」と、今回の研究に関わっていないチューリヒ大学の古人類学者マルシア・ポンス・デ・レオン氏とクリストフ・ゾリコファー氏は、メールでの質問に共同で回答を寄せた。「数百万年の進化の果てに、かみ合わせが言語の多様性と関係をもつことになるなどと、誰が想像したでしょう?」
オーストリア、ウィーン大学の生物音響学の専門家であるティカムザ・フィッチ氏は、この研究はさまざまな仮定に依拠しているものの、「著者らの主張には妥当性があると思います」と評価する。なお、フィッチ氏も今回の研究には関わっていない。「言語にかかわる生物学的な制約が、文化の変化に伴ってどのように変わってくるかを示す、これまでで最も説得力ある研究です」
けれども多くの言語学者は懐疑的だ。言語の差異の起源が生物学的な差異にあるとする考え方は、自民族中心主義につながる懸念があると考えているからだ。現在、ほとんどの言語学者は、世界の言語や方言の多様性を根拠に、私たちは皆、言葉を話すための同じ生物学的ツールと発声能力をもつと考えている。
歯は上顎と下顎の骨にしっかり埋め込まれているように思われるかもしれないが、歯列矯正器をつけたことがある人なら知っているように、顎骨の中の歯の位置は時間とともにかなり変化する。ヒトは幼いときには上の前歯が下の前歯にかぶさる過蓋咬合(かがいこうごう)気味だが、歯が自然にすり減って、傾きが垂直になってくる。これを補うために下顎が前に出てきて、上下の歯の先端がちょうど当たる切端咬合(せったんこうごう)になる。
先史時代の頭骨の多くがそうであるように、ヒトの歴史のほとんどの期間において、成人のかみ合わせは切端咬合が普通だった。しかし、社会が新しい農業技術を採用し、穀物を栽培したり牛を育てたりするようになると、食べるものが変わってきた。古代の人々がかゆやチーズなどの柔らかいものを食べるようになると、歯がすり減りにくくなり、成人しても過蓋咬合のままの人が増えた。
過蓋咬合が一般的になると、上の歯を下唇にのせて発音する「f」や「v」の音が登場する舞台が整う。これらの音は「唇歯音(しんしおん)」と呼ばれ、理論的には、上の歯が少し出ている方が出しやすくなるからだ。
実は、このような主張をしたのはブラーシ氏らが最初ではない。言語学者のチャールズ・ホケット氏が、1985年に同様の仮説を示したものの、後に撤回していた。数年前にブラーシ氏らがこの問題を再び取り上げたのは、同様の仮説は成り立たないことを立証するためだった。ところが、研究チームが世界の言語とその分布のデータベースを統計的に分析しはじめると、説明できない相関が見えてきた。
共同研究者であるチューリヒ大学の言語学者スティーブン・モラン氏は言う。「私たちは、この相関が存在しないことを証明しようとして、何カ月間も悪戦苦闘しました。もしかすると相関があるのかもしれないと思うようになったのは、その後です」
そこで彼らは、顔の骨と筋肉のコンピューターモデルを利用するなどして追加の分析を行った。その結果、過蓋咬合がある人が唇歯音を作るのに必要なエネルギーは、過蓋咬合がない人に比べて約29%少ないことがわかった。
ブラーシ氏らは、「f」と「v」を発音するのに必要なエネルギーが小さくなったことで、これらの音が使われる機会が増えたと考えている。おそらく最初は偶然だっただろう。言語学者が「両唇音(りょうしんおん)」と呼ぶ、上下の唇で調音する「p」や「b」などの音を発声しそこなったのかもしれない。きっかけはどうあれ、ひとたび唇歯音が出現すると、識別しやすく便利だったため、ずっと残ることになった。
ブラーシ氏の研究チームが、さまざまな社会の言語と食事のデータと比較したところ、現代の狩猟採集社会の言語は、農耕社会の言語の約4分の1しか「f」の音を使っていないことがわかった。これは、食物との相関を暗示している。また、インド・ヨーロッパ語族の膨大な種類の言語を調べたところ、これらの言語に唇歯音が登場する確率は4000年~6000年前までは50%未満だった。
唇歯音の登場の時期は、話し手が乳製品を利用し、穀物を栽培しはじめた時期とだいたい一致している。ブラーシ氏らは、これは偶然の一致ではないと主張する。
論文の共著者であるバルサザー・ビッケル氏は、「私たちがどんな音を用いるかは、私たちの発声器官の生物学的特徴によって決まってきます」と言う。「文化の発展のみによって決まるものではありません」
社会の構造から短期的な流行まで、あらゆる要因が言語を形づくっている。農耕の始まりはそうした要因の一つであって、言語学者たちは、一つの集団の中でさえ話し言葉には大きな多様性があると強調する。
南カリフォルニア大学の言語学者ハリール・イスカラス氏は、今回の研究には参加していないが、論文の考察を興味深く受け止めている。一方で彼は、ヒトの発声器官は運動器官と比べればたいしてエネルギーを使っていないうえ、非常に柔軟で、骨の構造の差異を補うことができると指摘する。両唇音のように過蓋咬合によって発音が難しくなる音は衰退すると予想されるが、実際には多くの言語に残っている。
さらに、エネルギー消費が言語の行方を左右するなら、発音が難しい音は使われにくくなるはずだが、そのような傾向は見られない。イスカラス氏はその例として、アフリカ南部のコイサン諸語の特徴である吸着音(舌打ちのような音)を挙げる。
「発音に要するエネルギーのわずかな差で特定の音が使われるかどうかが決まるなら、吸着音を使う言語などないはずです。ところが吸着音は存在しているだけでなく、もともとこの音を使っていなかった言語の中にまで広まっています」とイスカラス氏は言う。「吸着音の発音にはエネルギーを要しますが、それは問題ではないのです。吸着音を広めようとする文化的な力があるのです」
これに対してブラーシ氏は、自分たちの研究が文化の影響を否定するものではないことを重ねて強調する。
「唇歯音が偶然生まれる可能性は比較的低いですが、何世代にもわたって十分な回数の試行(ここで言う『試行』は、人が言葉を話すこと)があれば、私たちが確認したような統計的なシグナルが見えてきます」と彼は言う。「けれどもそれは決定論的なプロセスではないでしょう?」
学者たちの議論は続いているが、ブラーシ氏のチームは、次の研究のアイデアを持っている。例えば、自分たちの手法を使って古代の書き言葉がどのように話されていたかを再現し、言語の無数の音素をきれいにカタログ化してみたいという。
文=Michael Greshko/訳=三枝小夜子
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190318-00010001-nknatiogeo-sctch&p=3
より抜粋
確かに最近は 食育 味育 という言葉が流行っていますし われわれの業界でも摂食嚥下機能のリハビリテーション 誤嚥性肺炎予防のための分野ではやっていますしこれから2016年問題に向けて重要な学術分野です。
構音の分野から食事を検討した論文はあまり見たことがなく非常に興味深いですね。
柔食が叫ばれている現在咬合不正などと一緒に発音構音機能変わってくるのでしょうか。